鹿児島市城山にある「西郷隆盛洞窟」
西南戦争の終盤、薩軍と政府軍の城山の戦いで、政府軍の包囲網の中、
最後の5日間を過ごした場所と言われています。
西南戦争の終盤、薩軍と政府軍の城山の戦いで、政府軍の包囲網の中、
最後の5日間を過ごした場所と言われています。
思ったより洞窟内は奥行きもなく狭いです
実際は洞窟は11箇所あったと記録されていますが、現在は2箇所のみ
残されています。
この時城山に立て籠る薩軍は300人余り、これを囲む政府軍は4万。
死を決した西郷隆盛は、夜明けを待って5日間過ごした洞窟を出ました。
桐野利秋、別府晋介、村田新八、池上四郎といった私学校の幹部達も一緒です。
この日の西郷隆盛の出立ちは妻のイトが縫った、
縞(しま)の単衣(ひとえ)に白い兵児帯(へこおび)。
ゆっくりと岩崎谷(いわさきだに)を降ります。
300メートル程下ると、流弾(ながれだま)が西郷隆盛の腰に命中。
最後は別府晋介の介錯(かいしゃく)をあおいで49歳の生涯を閉じました。
鹿児島弁で「おはんらにやった命」とは「あなた達にあげた命」
と言う意味です。
いつも人の為に行動していた西郷隆盛、偉大な人ですね。
近くに銅像もあります。
駐車場
有
⭐️地図⭐️鹿児島県鹿児島市城山町19